●●● 第6章 フラワースクール創成期
77回 [新たなスクール]
生協でのスクールもスタートした9月初旬、
私は○○アカデミーに先生を訪ねました。
NFD1級を習っていた先生です。
以前このストーリーでも登場している
第43回で「謝罪」に伺った先生の所に行ったのでした。
「謝罪」に伺ったとき、最後まで先生は私の方を見てもくれなかったのですが。。。
その後の事を、皆さんは「気になりませんでしたか?」
先生は神戸でお花屋さんを経営されながら
自身のフラワースクールの運営をされ、
○○アカデミーでも講師をされていたのでした。
メインの仕入れは神戸の市場でされていたのですが、
時々、私が行っている大阪の市場にみえる事がありました。
先生とお会いする度
「先生、おはようございます。」と、ご挨拶していました。
すると、
「おはよう」 と、キチンと返して下さるのです。
だからすぐに、元の様な関係に戻る事が出来ていたのでした。
9月の或る日、私は友人と神戸で会う約束をしていました。
友人に合う事が目的だったのか、
先生にお会いする事が目的だったのか、
覚えていませんが…
多分私の事だから、両方が目的だったのでしょう。
友人もスクール運営をしていましたので、
「○○アカデミーに先生を訪ねて行く」と伝えると
「一緒に」という事で
2人で伺ったのでした。
お会いしてご挨拶し、すぐに
「お店を辞めたので、何かいい仕事があったら宜しくお願いします。」
そう言いました。
以前、先生が紹介して下さったお店を
結果的にお断りして、怒らせてしまったのに
私も随分「ずうずうしいですよね」
でも、先生は不機嫌になる様な事は全然なくって、
こうおっしゃったのでした。
「仕事あるよ」 って…
それもニコニコ笑顔で。。。
先生のお話は、こんな内容でした。
「来月から大阪の花商組合(お花屋さんの組合)が主催で、
フラワースクールが開校する。」
「そこの講師がまだ決っていないので、
今だったら、自分の希望曜日を選んでくれてかまわない」
「なんて、いいタイミングなんでしょう!!!」
それにしても、「来月開校」 なのに、
「大丈夫なのかしらん?」
そう、思ったのですが
いいお話なので、お受けしたい旨をお伝えしたのでした。
<つづく>
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先生からのご紹介を頂き、
その後、花商組合の理事長の面接を受けました。
無事にご採用頂く事になり、
そちらのスクールでは
月曜日の6時~と水曜日の2時~と6時~の3レッスン
NFDコースと趣味のコースを受け持つ事になりました。
組合のスクールは当初の予定通り、
翌月の10月からスタートしました。
これで、生協のスクールと合わせると
私の1週間も充実したものになってきたのでした。
1994年秋、
レッスンプロとして、本格的なデビューになったのです!!!
【宮川の一考察】 プロ養成スクール時代、「花屋で働きたい」と思った時 友人から紹介された最初の花屋時代 その花屋が閉鎖される事になり、 その店も辞める事になり、 そして、ほぼ同じ時期、
人間は、決して1人で生きている訳ではありません。 目を掛けて貰おうと思っているわけでもありません。 何をするにも、 人はそれを、キチンと見ていてくれています。
この後も、本当に様々な事(苦難)があるのですが、 という、「確信」があります。
「嫌な事が起こる時、 「反省」と、「分析&実験」を繰り返しながら 「いい人生だった」 そう思って「死んで生きたい」 (死んで、生きるのです) と、思っているのです。 |
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